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2008.12.21

イデビアン・クルー・オム『大黒柱』@新百合ヶ丘

18日(木)に行ってきました。

イデビアン・クルーは、井手茂太 さんが主催・振り付けするコンテンポラリー・ダンスのグループ。
Ide1Idekodoku

作品全体に漂う、そこはかとないゲイ・テイスト。それもお耽美ではなく二丁目的(だと思う)。

今回は、男性だけの公演なので、イデビアン・クルー・「オム」。

舞台には、天井までとどく大きな角材(というにはあまりに太い)が、斜めに立てられている。ダンサーたちは、ニッカポッカをはいた建設業作業員ふう数人と一人の現場監督、みたいな感じ。

今回、井出さん自身もダンサーとして参加。ラブシャイ体型(ちょっとぽっちゃり)で、独楽のように踊ってました。

井出さんの踊りには「小太りな自分に対するナルシシズム(というか「イケている」という感覚)」が感じられて、それもゲイ的な気がする。

井出さんの「踊り」そのものが面白くて、コンセプトとかセットとかは「とんじゃった」って感じでした。

特に、ふんどし一丁で踊りまくるシーンは、「天の岩戸」の天のウズメの踊り(だっけ)ってこんな感じなのかしらー、と思った。

井出さんについて「面白いけど、意味というか、何のためにやってるのかよくわからない」という感想を持つ人もいて、私もそれはわかる。いいたいことは何なの、そもそもいいたいことがあるのー、という感じである。

でもねー、ここまで踊りが面白ければ「意味」はなくてもいい!と思う。「意味大好き」の私でさえも。

ただ、他のダンサーには、そこまでの迫力がないので、「意味は?」って疑問が頭をもたげてくる。

井出さんについても、これで「意味」というかもっと強いメッセージをもっていたら、すごいだろうなー、とも思った。きっとすごいはず。


あと、複数で踊るとき、井出さんばかりに目が行ってしまうので、アンサンブルとして、作品全体として、どうなんだろうと思った。

唯一、建物の完成の挨拶、見たいなシーンで、話が長いのでみんな寝てしまうという、寝ながらのおどりみたいなシーン(なぜか官能的でもある)は、みんなよかったと思う。

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2008.12.16

ほぼ日々『イタリアの「ゲイ・プライド」事情』への酒井うららさんのコメント

「ほぼ日刊イトイ新聞」に「フランコさんのイタリア通信」という、イタリアのスポーツジャーナリストによるコラムが連載されています。

その中に『イタリアの「ゲイ・プライド」事情』というのがあった。
http://www.1101.com/francorossi/2008-06-10.html

パレードも色々妨害されたりして、「イタリアのゲイ」って大変なんだーと思った。(自分の場合、「こんなにうまくいっています」っていう外国の話より「大変なんだー。でもがんばってます」っていう外国の話を聞くほうが元気がでる気がする。)

記事自体はすごいいいんだけど、これに対する翻訳者(酒井うららさん)のコメントに疑問を感じた。

記事の内容とほとんど関係がないんだよね。(「ダヴィンチ・コード」より「薔薇の名前」の方が面白かったとか・・・)

この記事でフランコさんは、保守派の同性愛者差別への怒りと同性愛者の抵抗への明らかな支持を表しています。

そういう記事を訳していて、そして、
同性愛者が日本にいないわけではないし、差別の問題がないわけでもない・・・
そういう状況で、なぜ、あえてまったく関連のないコメントをするんでしょうか。

私は、非常に疑問を感じたし、
記事を書いたフランコさんに対しても失礼な気がした。
酒井さんが常日頃、セクシュアルマイノリティに関心がないとしても、この記事を訳した後で…、上に引用した文章を自分で日本語にしたあとで、何も関心を持たないのなら、それは記事を書いた人へのすごい侮辱になる気がする。
「あなたの記事は私の心を少しも動かしませんでした」ってことなんだから。
(あるいは酒井さんは、関心がないというよりも、なんらかの理由で自分の意見をいいたくなかったのかもしれませんが)


この記事の最後でフランコさんは最後にこう書いています。


XXXXXXXXXXXXXXXXX
つまりイタリア人のゲイたちが望むことは、ひとつです。
世界の他の多くの地と同様に、
彼らの声に耳を傾けてほしいということです。

「ゲイ・プライド」というパレードで
彼らが示したいのは、
多くの人々が良しとしない彼らの自尊心です。
自分たちと感覚が異なる人たちに、
自分の意見をおしつけようというのではありません。
ただ自分たちのことを理解してほしいのです。

自由とはこういうことではないでしょうか。
成人が自分の判断で意見を同じくする人と
心身ともに愛し合い、
その事を自然に認めて欲しいと願うこと、
いや、まずそう願う彼らの声が阻止されないこと、
それが自由への第一歩ではないかと、ぼくは思うのです。
XXXXXXXXXXXXXXXX

これを訳して、なんでそういうコメントなんだ。

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