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2005.09.30

メゾン・ド・ヒミコ、納得できない点

「メゾン・ド・ヒミコ」納得できない点(追記:「メゾン・ド・ヒミコ」のオフィシャルサイトに書き込んだのと同じものです。)

「メゾン・ド・ヒミコ」について、私の周りのゲイの友人たちの間で「おかしい」「納得できない」という声が多かった部分が二つある。
一つは、ホームの住人の一人である、山崎が女装して出かけるところ。もう一つは、柴崎コウがオダギリ・ジョーとセックスしようとするところである。

そして、オフィシャルサイトやオフィシャル・ブックに載っている作り手達の、同性愛者に関する言葉も、やはり疑問の残るものだった。

(1)山崎が女装で出掛けるシーンについて
念願の女装をして、ホームの仲間とクラブ(というかグランド・キャバレー)に出かけるところがあるこのシーンについて、「女装で出掛けるのにカツラもかぶっていないのはおかしい」という意見が多かった。
私もそう思う。

もちろん、そういうことにこだわらないで女装する人もいるだろうが、山崎は、自分が女装するとみっともないと思っているのである。女装なんて珍しくもないであろうメゼン・ド・ヒミコの住人たちにさえ、自室の女装の衣装を見せたことがなかった。沙織に後押しされて女装で出掛ける際も、なかなか決心がつかない。つまり山崎は人目に敏感なのだ。
そういう山崎が、女装で外に出掛けるんなら、精一杯のことをするだろうし、まわりの人間だってそれを手助けするはずだ。山崎は、バー・卑弥呼と関わりのある人だろうから、女装というものを頻繁に見ているはずである。また、ホームのほかの住人にはバー・卑弥呼の元従業員らしき人もいる。そういう人たちと一緒に住んでいるのだから、自分で化粧や支度ができなくても、誰かが手伝んじゃないだろうか。
実際、ヒミコは山崎と出掛けるホームの住民たちに、「だめよ」といってブラックスーツでドレスアップさせている(このシーンはとてもいいと思う。)。これらを考えると、あのシーンでのメークもヘアもあまりにも中途半端である。

その後、山崎は、クラブでもと務めていた会社の同僚からオカマと罵倒される。それを見て沙織は怒るが、途中からその沙織の姿を好ましく思う春彦とのキスシーンになってしまい。罵倒していた元同僚にはどう落とし前をつけたのか、山崎はどうなったのかは、わからないままで終わってしまう。

作り手の側の山崎という人物に対する扱いがあまりにも雑で、そのため、山崎の中途半端な女装は、罵倒されるため、さらには、それに怒る沙織を春彦が好ましく思い、二人がキスし、セックスしようとするための伏線でしかないように思われる。同性愛者が、話の都合上の背景でしかないように思われるのである。

(2)春彦が沙織とセックスしようとするシーン
このシーンの意味をついて、脚本家の渡辺あや氏は以下のように説明している。
「ゲイの人たちも、一度くらいチャレンジしてみてもいいんじゃないかという気持ちが頭のどこかにあると思ったんです。春彦にとっての沙織は愛する人の娘だから、普通の女の子とも違う存在で、人として『コイツいいな』って感じで、もしかしたらできるんじゃないかとトライしてみたってこと。これは私の解釈なので他の人にとっては違うかも知れないけど。」

たとえ「ゲイの人たちも、一度くらいチャレンジしてみてもいいんじゃないかという気持ちが頭のどこかにある」としても、そんな理由で、瀕死の恋人と同じ屋根の下で、その娘と「チャレンジ」するだろうか。

これをストレート(異性愛者)の男性に当てはめたらどうなるだろう。
「ストレートの男性たちも、一度くらいチャレンジしてみてもいいんじゃないかという気持ちが頭のどこかにあって、愛する女性(瀕死の病で床についている)の息子だから、普通の男の子とも違う存在で、人として『コイツいいな』って感じで、もしかしたらできるんじゃないかとトライしてみた。」

「メゾン・ド・ヒミコ」のオフィシャル・ホームページの掲示板に寄せれた感想を見ると、「やさしい」とか「癒された」というものが多いが、こういうストーリーでも、「やさしい」と思ったり、「癒され」りするのだろうか。

このシーンについては、製作段階で、すでにゲイから批判されていたとのことである。
助監督の加藤聡氏は、オフィシャル・ブックの中の「撮影日誌」で、春彦と沙織のラブシーンについて、「ゲイの皆さんにも必ず『ありえない』と忠告を受けた場面だった。」「取材協力にも名前をつらねている”プライベート・ゲイ・ライフ”の著者・伏見憲明さんもその一人で「このシーン」は外した方がいいんじゃないかとまでのご指摘だった」と述べている。

犬童監督は、オフィシャル・ホームページのインタビューで、このような批判について
「実際のゲイの方達にはあり得ないとずいぶん言われました。でも,僕とあやちゃん(脚本家)の中ではあり得た。」と語っている。
では、監督と脚本家には、ストレートであっても同性とセックスする気持ちが頭のどこかにあるのだろうか。この映画を見、インタビューなどを読む限り、私にはそうは思えない。この映画の中で、異性愛者たちの世界や欲望はまったく揺らいでいるようには見えないのだ。揺らぐのは同性愛者の側だけなのだ。これは異性愛と同性愛を同等とは思っていないからではないだろうか。(もし、本当に「ストレートであっても同性とセックスする気持ちが頭のどこかにある」ってことだったら、異性愛者の男が、他の男とセックスしようと誘う映画にしてほしかった。)

私には、この映画の春彦と沙織のキス・シーンやセックスしようとするシーンは、異性愛者の欲望(に応える商売)のためのものとしか思えない。

(3)作り手の姿勢について

この映画の脚本家 渡辺あや氏は、オフィシャル・ブックのインタビューで、「モデルはいませんか?」という質問に対し、以下のように答えている。

「いないですね。ゲイの人も身の回りにはいないので。まったくの空想です。『つるばらつらばら』の時にたくさん資料をいただたいて、それで学習した程度。実際に結婚する人がいることも、その資料ではじめて知りました。」

一方、渡辺氏は、同じインタビューの中で、改稿を重ねる途中、この物語を書く資格が自分にはないと明確に思って、全然違うストーリーにした、と語っている。
「書く資格がないというのは?」という問いに対し、
「まだ、自分が30代前半でというのがコンプレックスで、それよりもずっとながく生きているひとたちのしかもヒミコのように死を目前としている人の気持ちをかけるのだろうか、と。ヒミコという人物を描写するにあたっって、私にはいろんなものが不足していると悩んだし、壁にぶち当たってペチャンコになりました。」
と答えている。

このインタビューを読む限り、渡辺氏は高齢の人を描くことに対して「資格がないのでは」と自問するのに、ゲイを描くことについては、同じような不安をもっていない。このことは、彼女にとって高齢者は実在するものだが、ゲイは「想像上の存在」でしかないないことを示しているように思われる。(ちなみに、渡辺氏は、「メゾン・ド・ヒミコ」のオフィシャル・サイトで、「小さい頃からムーミン谷が大好き」で、「ああいう場所に行きたいな、と思いながらてくてく歩いてみたらたどりついたのが『メゾン・ド・ヒミコ』でした」、と語っている。)

犬堂監督は、オフィシャル・サイトに載っているインタビューで、以下のように語っている。
ゲイの人たちや芸人は、僕(犬堂監督)には“解放された人たち”に見える。それまで自分が暮らしてきた一般社会、生活といったものに踏ん切りをつけて、違うところに踏み込まないといけない。そこはしんどいけど自由な場所で、ゲイの人たちもそういう場所にいると思えてしまう。勝手な思い込みだが。「つるばらつるばら」の準備のためにゲイについての資料をたくさん読んでいて、それはそのまま自然に『メゾン・ド・ヒミコ』(以下『ヒミコ』)につながっている。僕はゲイの人たちの資料をずっと読んできて、彼らの抑圧の歴史のようなものを入れたかった。

そのためか、スタッフ・クレジットには、自らゲイであることをカミングアウトしている作家の伏見憲明氏の名前が載っている。しかし、オフィシャルブックにも、サイトにも、伏見氏、あるいは取材に協力した他のゲイの意見、彼らと行われたであろう対話などがほとんど載っていない。私が見た限り、春彦と沙織のラブシーンについて批判があったことだけで、それについては、先ほど述べたように、作り手の側から、納得できる説明をしているとは思われない

異性愛者の人が、ゲイを描いてもかまわないと思う。でも、そのとき、その難しさに自覚をもってほしい。「メゾン・ド・ヒミコ」を観る限り、作り手の側にとって、「ゲイ」は物語のための、便利な道具でしかないように思われる。つまり、ゲイが蔑ろにされているのである。(広辞苑によれば、「蔑ろ」とは「他人や事物を、あっても無いかのように侮り軽んずるさま」である。)

このように思っているのは、私や私の周りのゲイだけではない。「メゾン・ド・ヒミコ」のオフィシャル・ブックに収められた批評「エレクトラ・コンプレックス」の中で、映画評論家の田中千世子氏は以下のように述べている。
「・・・私にとって『メゾン・ド・ヒミコ』は柴崎コウのための映画である。同性愛者の老人ホームとか、世間の差別とか、カムアウトとか、同性愛者と恋愛する異性愛者の苦しみなどということはあまり重要ではない。物語の展開上そうしたことが出てくるに過ぎないような気がする。同性愛者たちが弱者、被害者、日陰者というパターン化された立場で描かれているので、一層そんな見方になるのだが・・・(以下略)」


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